人(ヒト)が怖くなくなる本 ~人間関係でトコトン悩み続けたオトコが偶然発見した ヒトの強化書~

幸せのヒントは貴女の心の中に・・・幸せに導くための心理学を紹介します。

それは努力とは言わねぇだろ

「こんなに頑張ってるのに…」

「こんなに努力してるのに…」

「なんで私は報われないの…。」

 

と思うことはありませんか?

 

私自身、何かの壁にぶち当たる度に

ついこう思ってしまい

何かを途中でやめたくなる場面が

何度かありました。

 

そんなとき、 

ガチンコものではないですが

昔から私はいわゆるスポ根系の

漫画が好きでそれを思い出しては

 

「俺はまだまだやれる!」って

自分を奮起させるのが

お決まりのパターンでした。

 

しかし、努力には

「これは努力している。」

「これは怠けている。」

という絶対的指標はなくて、

 

その人個人が決めることであり、

人それぞれ温度差があります。

 

ただ1つ確実に言えることは

「皆それぞれが現実を頑張って生きていて、

頑張っていない人は1人もいない。」

 

ということ。

 

うつ病になったとき、周りから

「頑張れ」という励ましを頂く度に

なぜか生き苦しくなりました。

 

だから、

「頑張れ」という言葉を人に対して

無責任に使うことができません。

 

「みんな頑張って生きている。」

 

この現実を絶対に忘れてはいけないなと

いつも思っています。

 

頑張って上手くいかない人に

できることは

 

頑張りを促すことではなく、

頑張っているエネルギーの

方向性を少し変えてあげること。

 

あるいは心の重荷になっている

ブロックを取り外すこと。

 

わざわざ相談に来る人は

必死に現状を変えようとして

すでに頑張りすぎているので、

頑張りを促す必要はないと思っています。

 

 

 

目次

1:人へ熱意が伝わる瞬間

2:本質は名言にあらず。

3:名言の落とし穴

4:まとめ 

 

 

 

1:人へ熱意が伝わる瞬間

 

今では漫画を読むことは

めっきり少なくなりましたが…

 

昔お気に入りだった漫画の中で

いつも心に刻まれている

『努力』に関する名言があります。

 

『MAJOR』と言う野球漫画なのですが、

 

主人公の茂野吾朗が

野球を辞めようとした

チームメイトに放った言葉です。

 

 

“他人(ひと)にやらされてた

練習を努力とは言わねえだろ。

 

好きな野球して飯食おうなんて

図々しい特権、

 

与えられた宿題こなした程度で

手に入るわけねえじゃん。”

 

(MAJOR 31巻 6話「スパイク」より)

 
    

   

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このセリフの経緯を説明すると…

 

この場面は

主人公『茂野吾朗』

主人公の親友『佐藤寿也』

チームメイトの『寺門健一』

 

この3人のやり取りの中にあります。

 

名門野球部チームの合宿で

訓練を必死に耐え抜いていた寺門は、

ある日を境に自分の力に限界を感じ、

野球部を辞める決意を口にしました。

 

参加者は全員、地域から

選抜されたルーキーばかりで

寺門も能力の高いピッチャーですが…

 

彼が入った名門・海堂高校には

彼の能力を上回る選手が多く、

彼らを打ち破って試合に選ばれることの

難しさを練習の中で思い知らされ、

辞めることを決意しました。

 

チームメイト思いの佐藤は

辞めようとする彼を

必死で引き止めようとしました。

 

が…

 

「才能の違うお前らに、

頑張れだの努力しろだの

気軽に言われたくねぇ。

 

努力したってレギュラーになれねえ奴は

なれねえんだ!」

 

と言い返されます。

 

茂野はそんな寺門に対して

問いかけます。

 

 

「お前、本当に才能ねえんだろうな?

つまり、本当に才能がねえと

言い切れるだけの努力はしたのかって

聞いてんのさ。」

 

寺門は必死に努力して

キツい合宿でのトレーニングも

逃げ出さずに頑張ってきたと言います。

 

「…ならいいんだ。」と茂野が

その場を立ち去ろうとしたときに

寺門は自分が使ってきた

スパイクを茂野に渡そうとします。

 

寺門は茂野と足のサイズが同じだから

「使ってくれ。」と言いました。

 

茂野は喜びます。

 

「この前3足目のスパイクを

はき潰したところだから助かるぜ。」

 

 

「…え?3足目?」

 

寺門にとって

茂野に渡したスパイクは

まだ1足目でした。

 

しかし、茂野はこのときすでに

3足目をはき潰してしまうほど

過酷な練習に打ち込んでいたことに

初めて気づかされます。

 

あまりの衝撃に茫然と

言葉を失った寺門に対して

茂野が言った言葉です。

 

「ひとにやらされてた練習を

努力とは言わねえだろ。

 

好きな野球して飯食おうなんて

図々しい特権、

 

与えられた宿題こなした程度で

手に入るわけねえじゃん。」

 

そのセリフの後、

フォローでこう付け足します。

 

「まあでも、

自分で努力したってんなら

いいんじゃねえか?

 

本当の努力なんて、他人には

知るよしもねえんだからな。」

 

 

多くを語らない茂野の影を

目の当たりにした寺門は

再び心に闘士を取り戻し、

部に残る決意を新たにしました。

 

 

この場面が私の心に強烈に残っていて

何かで心が折れそうになる度に

これを思い出します。

 

「俺にはまだまだやれることがある。」

 

今の自分の諦めの悪い執念深さは

こういった漫画の洗脳から

来てるのかなと思います(笑)

 

 

しかし、

これを見たばかりの昔の私は

名言に心を動かされたと

勘違いしていました。

 

ドラマでも漫画でも偉人の名言でも

 

目の前で起こっていない出来事は

現実味がなく臨場感が少ないので

他人事に感じてしまって、

言葉そのままを捉えがちになります。

 

しかし、よくよく思い返すと

心を動かされたのは

この名言に対してではありません。

 

 

2:本質は名言にあらず。

 

では、

何に心を打たれたのかというと…

 

「寺門はまだ1足目なのに

茂野は既に3足履き潰すほどの

練習を積み重ねていた。」

 

心に響いたのはこの部分であり、

この部分をなくして

言葉の説得性はなかったと思います。

 

これは現実世界でも同じですが、

背景がないまま他人に努力を語っても

「お前エラそうなことほざくなよ!」

と普通はケンカになります。

 

だから、人の心を動かす

『感動』の本質は

名言ではないと思っています。

 

『語るのではなく見せること。』

 

ボロボロになった靴。

日頃のトレーニングで作った

血豆だらけの手のひら。

 

真に語っているのは言葉ではなく、

日頃の取り組みだったり、

体や道具の傷跡だったり、

 

人が感銘を受けるのは

言葉ではなくそれ以前に

「何をやってきたのか?」を

物語る何かがあります。

 

 

「まあでも、

自分で努力したってんなら

いいんじゃねえか?

 

本当の努力なんて、他人には

知るよしもねえんだからな。」

 

茂野が言葉で寺門に

「俺は頑張ってんだからお前も頑張れ」

と押しつける場面はありません。

 

語っているのは

練習でボロボロになった靴や、

日々の訓練で身に付いた技術など

言葉以外の部分ですよね。

 

「語るのではなく見せること。」

 

これが本質であり、

名言はその本質の中で

付いてきたおまけだと思っています。

 

言葉ではなく、

その言葉の裏側に潜んでいる

背景の読み取り方で

名言の解釈は変わってしまいます。

 

 

3:名言の落とし穴

 

偉人の名言に当てはめて

日々の業務に対して厳しい視点で

物事を見なさいと語る人や

そういった類の記事を書く人を

たまに見かけます。

 

これは個人的な意見ですが…

 

それは言っている本人が自分の中で

思って実行すればいいものであって、

人に無理に押しつけるものではない

気がします。

 

それに…

 

名言は人の士気を高めるために

便利なツールでもありますが、

努力の名言には落とし穴があります。

 

努力の名言はあくまで

その本人が情熱(欲)を持って

取り組んでいるものに限定されます。

 

 

たとえば今回の名言もそうです。

 

「ひとにやらされてた練習を

努力とは言わねえだろ。

 

好きな野球して飯食おうなんて

図々しい特権、

 

与えられた宿題こなした程度で

手に入るわけねえじゃん。」

 

何が落とし穴かというと

真面目で自分に厳しい人であれば

名言を自分の行いすべてに

当てはめて考えようとします。

 

しかし、嫌いなことに対しても

「もっと自分に厳しくならなくては!」

と名言を当てはめると焦点がずれて

人間壊れてしまいます。

 

確かに、茂野は野球に関しては

人並外れた努力をしていますが、

それ以外(学校の勉強など)に関して

自己を追い込む描写は何もないです。

 

あくまで

情熱を持って取り組んでいる

野球に限ってのことです。

 

 

リアルの世界ではたとえば

イチロー選手の名言の数々も

あくまで野球に関してのみです。

 

努力の名言の数々はあくまで

その人本人が他を寄せ付けない

情熱のある分野の中であり、

それ以外のことで語ることはありません。

 

そもそも嫌いなことだったり、

情熱が弱かったり、

欲そのものが弱すぎたり、

他人の欲を追いかけていたり、

 

そういった物事に

努力の名言で奮い立たせるのは

努力というより『拷問』です。

 

たとえば・・・

 

「私は大嫌いな上司や姑の嫌味ったらしい

小言にひたすら黙って耐えるんだ!」

というのはただの戒めであり、

自分への罰ゲームになってしまいます。

 

元々好きでないのに頑張ろうとしても

そう簡単に好きにはなれないし、

努力自体が難しいです。

 

一時的に頑張れますが

長続きはしません。

 

努力の名言は

今自分が本当に情熱や欲を持って

取り組んでいることに対して

使うのが自然だと思います。

 

 

4:まとめ

 

「人は皆頑張って生きている。」

 

このことを忘れてはいけないと

思って今回の記事は

書かせて頂きました。

 

人の『努力』って何で決まるのか?

 

そこに絶対的指標はないですが・・・

 

物事への取り組みの度合いは

個人個人が心から抱いている

『情熱(欲)レベル』で決まってきます。

 

だから「あの人は努力していない」と

他人が指摘するものでも

誰かと比べるものでもなく、

 

その人の持つ情熱の範囲内で

取り組むのが健全な努力の在り方

だと思っています。

 

名言を残した偉人達は

その欲が並外れて大きいわけであり、

その現実を望まない人が使っても

上手くいかなくなります。

 

それより問題になるのは

情熱の発生源であり、

それがいつまで続くのかです。

 

たとえば、ダイエットを例に出すと

5kg痩せたいと目標があって、

その情熱の根源が『同窓会』

だったとします。

 

久しぶりに会った同級生から

「え~昔のままスリムな体型じゃん」

という一言を言われたいために

頑張っているとしたら、

 

その現実は叶うかもしれませんが、

同窓会が終わった瞬間に

ダイエットへの情熱は消え去ります。

 

アスリートが大きな大会後に

燃え尽き症候群になるのと同じで

情熱には寿命があります。

 

こうなってしまったら

新たな情熱を見つけるしかないので

最初から永続的に持ち続けられる

欲を何か1つ持って置きます。

 

たとえば、

週末にいつも会う友達から

「あれ?また痩せたんじゃない?」

と言われ続けたいとか、

 

結婚して子供ができた後も子供から

「ママはいつもスリムだね。」

と言われ続けたいとか…

 

何か長期的に持ち続けられる

情熱を1つ忍ばせておくと

何かを継続し続けるために

役に立つと思います。

 

長くなりましたが、

最後まで読んで下さり

ありがとうございます。

 

今回のコンテンツが

何かのお役に立てれば

幸いです。